「絶滅危惧種」!!365の伝えたい話 第4話
散歩していて虫が昔に比べ本当に少なくなってきたなと感じています。
ニイニイゼミはもちろんのこと、ミンミンゼミの声を聞くのも難しいです。
虫好きの私からすると寂しいかぎりです。
昆虫が年々少なくなるように、美しい日本語を聞く機会もどんどん減っています。
ここ数年の日本の天気は一昔前とは一変しました。
今年の夏もそこかしこで線状降水帯が発生しテレビも連日各地の雨による被害を報道しています。
こんなに連日被害状況を見せつけられると、雨そのものが疎ましく思えてきてしまいます。
しかし、昔の人は「雨」ひとつとっても本当に表現が豊かでした。
このところの雨は「ゲリラ豪雨」ばかりですが、
「豪雨」も昔の人は様々な風情のある言い方をしました。
「篠突く雨」・・・「篠」とは、細く群がり生える篠竹(しのだけ)のことを指し、篠竹を束にして地面に突きおろすように、はげしく降る大雨、豪雨を言います。
「鉄砲雨」・・・篠突く雨よりもっと大粒の雨を指します。
「バケツをひっくり返したような雨」
「土砂降り」
といろいろと表現することができます。
今の気象庁は「弱い雨」「強い雨」「激しい雨」「非常に激しい雨」「猛烈な雨」
と1時間の雨量の差によって使い分けていますが、なんとも風情がありません。
天気は自然そのもの。もっと粋な言い方を気象庁もすればいいのにと思うのですが、、、。
話を戻しますが、街中の会話でもテレビの報道でも擬音、擬態語が多すぎます。
話の中にちょっと擬音、擬態語を挟むのは、話自体に躍動感が出て決して悪くはありません。
しかし、やたらめったらに使う若者、大人を見ると情けなく感じます。
幼児は擬音、擬態語を多用しますが、それは言葉を知らないからそうなるのは仕方がないと思います。
しかし、義務教育を終えた中学生以上は
正しい日本語を使うよう努力すべきと考えます。
私は日本に帰国して、一番やらないといけないと思いやっていることは
病院に行って体のオーバーホールをすることです。
病院には沢山のお年寄りがいらっしゃいます。
しかし、先日そのお年寄りの中に、優しい綺麗な日本語を話すお婆ちゃんがいらっしゃいました。
私はそのお婆ちゃんのとなりに腰掛け、品よく心地よい日本語をずっと聞きいっていました。
そんなお婆ちゃんの話す言葉を聞いて言葉はやはり「礼」なんだということを実感しました。
自分の言いたいことを話すだけのために言葉はあるのではなく、
話すことで相手に安心感、優しさを安らぎを与えることが
言葉の本来の役目ではないかとお婆ちゃんの優しい言葉を聞いて私は思いました。
街に繰り出すと、強い口調、汚い言葉がいやでも耳に入ってきます。
同じ人間の口から発せられる言葉なのに、
ある人の言葉は人に安らぎと勇気を与えるのに、
ある人の言葉は人を苛立たせ、ストレスを感じさせます。
これはSNSでの文章においても同じことが言えると思います。
言葉は使い方によってとても凄い力を持っているので、マイナイスに働かないように気をつけたいものです。
日本語は世界でも稀有な表現力豊かな言語です。
しかし、そんな素晴らしい言語を話せる人が絶滅危惧種並みに少なくなってきています。
私ももう一度昔の話し言葉を勉強して、頑張って絶滅危惧種入りを果たしたいと思います。
空手も文化、しかしそれ以上に「言葉」は長い歴史を持った大切な文化。
大切に紡いでいきたいものです。