「日本の未来を守るために:政治家たちの無為と私たちの責任」
イタリアと日本の大きな違いの一つは、個人のあり方にあります。日本では「和」を大切にし、それが「協調」を重んじる文化につながっています。しかし、イタリアでは「個」を重んじ、その結果として「主張」が重要視されます。どちらが良いか、という問いには答えがありません。日本は島国で長い間、平和で排他的な生活を送り、個人の主張を通すことが「恥ずかしい」という感覚が根強くあります。一方で、陸続きで隣国の脅威にさらされている国々では、そのような姿勢では生き残れません。だからこそ、「主張」が重要になってくるのです。
中国や韓国といった隣国の考え方が日本と異なるのは当然と言えます。例えば、尖閣問題で日中間が緊張していますが、これを空手に例えるなら、中国の攻め方はやや稚拙に思えてしまうこともあります。もし日本の政治家が「和」を本当に理解しているのであれば、「戦わずして勝つ」方法を模索するべきです。他国と同じように「主張」で衝突するのであれば、日本の魅力はまったく失われるでしょう。
「戦わず」と「沈黙」は全く異なります。相手にやりたい放題させて、何もせず黙っているだけの「沈黙」は、知恵を絞らないことと同じです。現政権が国際法や日米安保を頼りにしているようですが、それは自力で解決しようとするものではなく、他力に頼った解決策であり、まったく知恵を絞っていないため、非常にお粗末だと言わざるを得ません。情けない限りです。
今、日本が直面している最悪の国難において、首相や幹事長、官房長官が過労で救急車で運ばれても不思議ではない状況です。それにもかかわらず、彼らが頭の中で最優先しているのは、政権維持という非常に小さな問題です。このような姿勢は「小人」に過ぎません。さらに、自民党がカツカレーを食べながら「決起集会」を恒例とばかりにやっていますが、「そんな時間があったら被災地を回れ! 子ども食堂の現状を見ろ! スーパーで野菜や米を買い、物価高騰を実感しろ!」と言いたい気持ちです。

未だ仮設住宅に住み続けなければいけない人は多い。
永田町で今、政治家たちが行っていることが、いかに「信」が欠如した政治家ごっこであるか、きっと自覚しているはずです。膨大な赤字国債を発行してまで続ける政治家ごっこには、もはや余裕はありません。最近の政治家はよく「物事はそう簡単ではない」と口にしますが、物事を複雑に考えることこそ、自分に知恵がないことを認めているに等しいのです。賢明な人ほど、物事をシンプルに捉えることができるものです。今、この時代に本当にやるべきこと、その優先順位ははっきりしています。一般企業なら、債務超過になれば即終了です。しかし、この国は「赤字国債」を発行して延命を図るだけで、根本的な解決はありません。
日本を動かす中枢である政治家たちが「脳死」状態であることは、医者でなくても分かります。なのに、誰もその最終通告をしようとしないのは恐ろしいことです。私一個人の力では限界がありますが、真剣にこれからの日本のことを考えなければならないと感じています。次世代の子どもたちにツケを回さないために、できることはたくさんあるはずです!